ハーグ実施法

父が母に対し、ハーグ条約実施法に基づく子の返還を求めた事案において、母が自殺する可能性があることで同法28条1項4号(重大な危険)の返還拒否事由があるとした原決定を取り消し、同事由等は認められないとして子の返還を命じた事例

出典
家庭の法と裁判31号70頁
事案の概要

日本人母とアメリカ人父は、2016年にアメリカで子をもうけ、子は出生以来、アメリカで生活していた。母は、2017年1月までに父から暴力を受けたとして病院に通院したことがあった。父は、かねてより大麻を喫煙・購入し、2018年には大麻を所持したとして逮捕された。

2018年10月、父母は、均等に子を監護すること、休暇を目的として毎年3週間子と過ごすことができること、母については子を連れて3週間日本に滞在できること等を内容とする養育計画に合意した。同年12月、母は子を連れて日本に入国したが、3週間を経過してもアメリカに帰国せず、父に対して帰国の意思がない旨記載したメッセージを送付した。2019年2月、アメリカの裁判所は、父の申立てに基づき子の引取命令を発令した。このため、母がアメリカの管轄州内に入った場合、子を父に引渡すよう命ぜられ、逮捕・収監される可能性がある。

2019年7月、父は、東京家裁に対し、子の返還を申し立てた。家事調停に付され、子を常居所地国であるアメリカに返還する方向で協議が進められたが、調停は不成立となり、決定予定日を同年9月3日とすることが告知された。その数日前である同年8月、母は遺書を残した上で、致死量を超える薬剤を摂取し、自殺未遂に及んだ。

原審(東京家裁)は、父による大麻使用が子の心身に有害な影響を及ぼすか、母が父から子に心理的外傷を与えることになる暴力等を受けるおそれがあるか、及び、父又は母が常居所地国において子を監護することの困難性について、それぞれハーグ条約実施法28条2項1号から3号の掲げる事情に該当しないと判断した。しかし、母が及んだ自殺未遂については、親権をめぐる係争が誘因となっており、子の返還を命じた場合に母が再度自殺を企図する可能性は高く、母との死別という耐え難い状況に子を置くことになるから、同法28条1項4号の規定する「重大な危険」があるとして、子の返還申立てを却下した。父が即時抗告した。

決定の概要

母には精神病の既往歴がなく、自殺未遂は発作的なものであり、また、事後の経過についても、退院後の精神状態に不安定なところはみられず、親族等が自殺予防措置を講じている様子はうかがわれず、勤務を継続することが可能である等、希死念慮が重大かつ切迫したものとは認め難い。母の無力感、絶望感等からくる自殺衝動や希死念慮の高まりは、一時的な現実検討能力及び判断力低下によるもので、精神科医師らによる医療的介入や治療行為、親族等による自殺予防の措置等により回避されるべきものであり、必要かつ有効な措置等が講じられる限り、子の返還を命じた場合に母が自殺をする可能性は高いとはいえない。以上から、上記自殺未遂の事実をもって、ハーグ条約実施法28条1項4号の規定する「重大な危険」があるとまで認めるには足りず、「この判断は本決定告知後に相手方(注:母)が再度自殺を試みる可能性自体を否定できないことによって左右されない。」として、原決定を取り消し、母に対し、子をアメリカに返還するよう命じた。(KI)

ハーグ実施法

ハーグ条約実施法上の子の返還申立事件で成立した家事調停において定めた、子を返還する旨の条項を、同法117条1項を類推適用して変更することができるとした事例

出典
最高裁判所民事判例集74巻3号737頁、家庭の法と裁判29号49頁、判例タイムズ1476号56頁、判例時報2457号5頁
事案の概要

日本人母とロシア人父は婚姻して子をもうけ、2007年以降ロシアに住んでいた。2016年、当時9歳の子と母が来日し、父は、東京家裁に同年11月ハーグ条約実施法上の子の返還申立てをした。家事調停に付され、2017年1月11日、翌2月12日限り子をロシアに返還する旨の合意等を含む調停が成立した。しかし、子は、同月10日、下校途中教会に、ロシアに行きたくないと言って保護を求め、以後日本で生活している。父は、同年2月、間接強制の申立てをし、家裁は、母に対し1日当たり1万円支払うよう命令した。父は、その後代替執行等を申立て、次いで2018年2月には札幌地裁に人身保護請求をし、そのなかで同年7月30日裁判上の和解が成立(子がロシアの第9学年修了まで試験を受ける、父は代替執行事件に基づく解放実施の申立てをしないが、子が正当な理由なく試験を受けなかったときはこの限りでない等)した。

母は、東京家裁に、子がロシアへの帰国を拒否し、日本での生活を強く望んでいるから事情の変更があり、調停における子の返還合意の維持は不当であるとして、ハーグ条約実施法117条に基づき、本件調停を取り消して不成立にすることを求めた。

東京家裁は、2019年1月、申立てを却下した(調停合意も確定判決と同一の効力を有するから事情変更により調停条項変更を認める余地がある、子の意思は、返還事件及び調停において十分に考慮されるべきであり、当時、子は日本に住みたいと言っていたから、現在子が返還を拒否していることをもって子の返還義務が履行不能とか、返還債務が消滅したとして事情変更があったとはいえない)。東京高裁は、同年5月、抗告棄却した(明文がないので調停に実施法117条を適用も類推適用もできない)。母が許可抗告を申し立てた。

決定の概要

子の返還を命ずる終局決定が確定した場合、子の返還は迅速に行われるべきであるが、子が返還される前に事情の変更により返還決定を維持することが子の利益の観点から不当となることがあり得る。そのようなとき、返還決定が子に対して重大な影響を与えることになるから、ハーグ条約実施法117条1項の規定は、返還決定を変更することができることとしたものと解される。子の返還条項は確定した子の返還を命ずる終局決定と同一の効力を有する。また、子を返還する旨の調停が成立した場合も、事情の変更により子の返還条項を維持することが子の利益の観点から不当となることがあり得る。そのようなときに子の返還条項を変更する必要があることは、返還決定が確定した場合と同様である。「裁判所は、子の返還申立て事件に係る家事調停において、子を返還する旨の調停が成立した後に、事情の変更により子の返還条項を維持することを不当と認めるに至った場合は、実施法117条1項の規定を類推適用して、当事者の申立てにより、子の返還条項を変更することができると解するのが相当である。」として破棄差戻した。(I)

ハーグ実施法

国外に連れ去られた子の釈放を求める人身保護請求において、ハーグ条約実施法に基づく返還決定に従わないまま子を監護していることには拘束の顕著な違法性があるとされた事例

出典
最高裁判所民事判例集72巻1号17頁、家庭の法と裁判15号65頁、判例タイムズ1450号35頁、判例時報2377号47頁
事案の概要

日本人父母は長男、長女及び子(次男2004年生、米国と日本との重国籍)と米国で住んでいた。母は、2016年1月、父の承諾なく子(当時11歳3か月)とともに来日し、以後日本に住んでいる。父は、東京家裁に同年7月ハーグ条約実施法上の子の返還申立てをした。東京家裁は同年9月返還決定し、同年11月30日確定した。父が代替執行を申立て、返還実施決定を取得した。執行官は、2017年5月解放実施したが、母が激しく抵抗し、子も日本在住を希望し、米国行きを拒絶したため、執行不能となった。父は、同年7月名古屋高裁金沢支部に、母を拘束者として人身保護請求(併せて、カリフォルニア州裁判所に離婚請求し、翌8月、父の単独監護命令を取得)した。子(同年4月から中学生)は、被拘束者代理人に対し、日本での生活を希望し、父と離れたことで安心した面もあるなどと述べ、手続きの説明を受けて理解した。名古屋高裁金沢支部は、2017年11月7日に請求棄却した(身体の自由拘束なし、子の自由表明意思に反する請求、返還命令確定や監護権判決の確定は本件帰趨に影響しない)。父が上告、上告受理申立てをした。

決定の概要

子(被拘束者)が13歳で意思能力を有し、母(被上告人)のもとにとどまるとの意思を表明しているとしても、父との間で意思疎通を行う機会を十分に有していたとはうかがわれず、来日後母に大きく依存して生活せざるを得ない状況にあり、母は、返還を拒否し、子の面前で代替執行に激しく抵抗したことなどの事情の下では、「被拘束者が自由意思に基づいて被上告人の下にとどまっているとはいえない特段の事情があり、被上告人の被拘束者に対する監護は、人身保護法及び同規則にいう拘束に当たる」としたうえで、ハーグ条約実施法に基づく返還命令が確定したにもかかわらず、母がこれに従わないまま子を監護することにより拘束している場合は、その監護を解くことが著しく不当であると認められるような特段の事情のない限り、拘束者による子に対する拘束に顕著な違法性がある、として破棄差戻した。(I)

ハーグ実施法

ハーグ条約実施法に基づき子の返還を命じた終局決定が同法117条1項の規定により変更された事例

出典
最高裁判所裁判集民事257巻63頁、家庭の法と裁判15号84頁、判例タイムズ1449号94頁、判例時報2372号16頁
事案の概要

日本人父母は子らと米国で住んでいた。母は、2014年7月、父の承諾の下に子ら(当時11歳7か月の長男、次男、6歳5か月の長女、三男)とともに帰国し、以後祖父母方に住んでいる。その後子らの米国帰国について父母の意見が対立し、父は、大阪家裁に2015年8月ハーグ条約実施法上の子らの返還申立てをした。家裁での調査では、上の二人は米国返還を強く拒絶し、下の二人は拒否的であった。また、子らはいずれも他のきょうだいと離れたくないと述べた。父は、当時子らを適切に監護養育する経済的基盤がなく、親族等からの継続的な支援を受けることも見込まれなかった。大阪家裁は、2016年1月、申立てを却下(5号拒否事由あり)し、大阪高裁は、同月、上の二人には5号の拒否事由があるが、下の二人は適当な成熟度に達していないので5号に該当せず、重大な危険も認められないので、同法28条1項ただし書により4子とも返還決定した(変更前決定)。父は代替執行を申立てたが、同年9月15日執行不能となった。なお、父は、同年2月米国の自宅を競売され、8月から知人方に居住していた。母は、大阪高裁に同法117条1項に基づく終局決定の変更を申立て、大阪高裁は、2017年2月、終局決定を変更して返還申立てを却下した。父が許可抗告を申立てた。

決定の概要

父は、子らを適切に監護するための経済的基盤を欠いており、その監護養育について親族等から継続的な支援を受けることも見込まれない状況にあったところ、変更前決定の確定後、居住家屋を明け渡し、子らのために安定した住居を確保することができなくなった結果、子らが米国に返還された場合の父による監護養育態勢が看過し得ない程度に悪化したという事情の変更が生じたというべきで、返還を拒否している上二人について、5号の拒否事由があるにもかかわらず米国に返還することは子の利益に資するものとは認められず、ハーグ条約実施法28条1項ただし書により返還を命ずることはできない。下二人のみを返還すると、密接な関係にある兄弟姉妹を分離することになるなど、一切の事情を考慮すると、返還することによって子を耐え難い状況に置くこととなる重大な危険があるというべきで4号の拒否事由があるとし、「変更前決定は、その確定後の事情の変更によってこれを維持することが不当となるに至ったと認めるべきであるから、実施法117条1項の規定によりこれを変更し、本件申立てを却下するのが相当である」とした。(I)